以前勤務していた病院時代の話です。ある日曜日の当直の日、雑用品の買い物に、病院近くの商店街を歩いていたとき、60歳前後の女性から冒頭の声をかけられました。全く見覚えがなく、一体どういうお世話をした人なのかと、私の頭の中では脳みそが10~30年前の記憶を呼び起こすため猛スピードで回転していました。
<手術をした人? お産をした人? 外来で診療をしていた人?>しかし全く記憶に出てこない。声をかけられて黙っているわけにもいかないので、頭はフル回転しながらも、何気なくヒントを得るため私はこう返事をしました。
「その後お元気にされていますか」、女性「ハイ、おかげさまで孫も今年中学一年になりました」。この言葉でナゾがいっぺんに解けました。その女性の娘さんのお産を取り上げたのでした。そして、お祝いの言葉をその女性にかけたのかもしれません。
とっさに「その後お元気にされていますか」と答えたのが、手前味噌かもしれませんが、後で考えてみると正解だったようです。 10数年というときを経ても、以前のお産の時のことをいつまでも覚えていてくれたことは、医者冥利に尽きます。
しかし、年齢と共に記憶力が低下するのは何とも寂しい限りですが、お産をした人の親御さんの顔までは、思い出す方が無理ともいえるのではないかという気もします。
「その後お元気にされていますか」という言葉は、対象となる人が不特定多数で、しかも声をかけてもらった人に違和感を与えない魔法の言葉かもしれません。これが「申し訳ありません、どちら様だったでしょうか?」ではヤボな答えをしたものだと後悔していたことでしょう。
それからも見知らぬ人から「その節は大変お世話になりました」と声をかけられたら、「その後お元気にされていますか」と答えるようになりました。
R1年7月
オーキッドレディースクリニック 院長 紀伊顕二